アイデアのスープのレシピ

アイデアのレシピ集

ナショナルデパート2010年の総括

まあね、もう大晦日なわけで毎年恒例の総括です。

今年もいろいろありましたけど、ナショナルデパートを取り巻く環境が少しずつ変化したというのが主な感想ですね。売上がどうこうというよりも、世の中の雰囲気がナショナルデパートを受け入れ始めたというのが正しい認識なのかも知れないです。では、項目ごとにまとめて見ていきましょう。

胎動を感じ始めた2010年

思えば昨年10月の銀座三越での催事を終え、今年の2月には広島三越での催事を大成功に終わらせるという好スタートを切った2010年。夏にはDEAN&DELUCAへの卸売が開始し、秋には渋谷東急フードショーへの出店、そこから札幌三越の催事に立て続けに三回参加するという催事イヤーのスタートであったと言えるかもしれない。つい二年前までは岡山で誰にも知られていないようなパン屋だったのが、全国のデパートやSCからお誘いを受けるまでになったのは、もちろん高円寺に出店したことが大きいが、それに加えて食品を取り巻く環境の変化というのも著しいのではないかと感じた。路面店での展開のほかデパ地下、SC(ショッピングセンター)での展開という販路の拡大と、ナショナルデパートの商品特性がいかに合致していくかというテーマは来年以降の懸案として、今年については各商業施設がナショナルデパートの特性をどのように見極めるかという

菓子業界では10年ほど前からロールケーキや柔らかいプリン、バームクーヘン、ドーナツなど、業界自体を牽引するアイテムカテゴリーが創出され全国の事業者がその渦の中に巻き込まれていくという現象の中で、業界全体の売面確保、売上の底上げというものを果たした。デパ地下といえばスイーツという流れもここで確立されたのではないだろうか。古くからある手土産需要を満たすためのビッグネームの焼き菓子アソート、有名パティシエの高価格路線の洋生展開なども売面を確保しているが、ここにいわゆる「生系」のスイーツや地方発信のアレンジスイーツなどが進出して確固たる地位を築いたのは、各事業者の競争の果てに見出した業界生き残りの構図なのだと思う。

一方パン業界で見るとマスコミへの露出を利用した「天使のチョコリング」の他に単品で注目されるアイテムというものは創出されなかった。カレーパンが流行ってそれを街のパン屋がみんな作り始めるという流れではなくて、商品そのものに名前をつけて排他的にブランディングを進めていくというのはこの業界にあっては当該チョコリングの他に見るものがない。しかし当該チョコリングを開発した事業者もその後は「とろなまドーナツ」などの菓子方面への方向転換を図り販路の拡大を実現させた。ここにおいて「パン」そのもののカテゴリー限界というものが露呈したというのが妥当なのではないかと思う。パンの場合は焼成設備、バラエティー展開するための什器設置面積などを考慮すると、スポット出店での売上の確保が難しく、知名度の高い事業者が商品点数を絞った形で催事参加するか、中堅クラスの事業者がデパ地下にスポット出店し会社帰りのOLを狙って常用のパンを捌いてしまうかという二つしか無かったのではないか。

そんな状況下でナショナルデパートの商品群が得意なポジションを獲得しつつあるのは、既存商品のアレンジではない「新しい何か」を感じさせる期待感があるのだと思う。一部デザインや方向性を模倣する事業者も現れているが、既存の菓子やパンをアレンジするにとどまったりや、包装や売面展開を目新しい物に変えて見せるだけのものがほとんどだ。もはや成熟したこの市場の中で生き残っていくのは難しい。やはり新しい商品カテゴリーの創出以外にこの道を進む方法は無いというのがナショナルデパートの創業以来の考え方だ。これから始まる新しい食品の可能性、その胎動を共有することでナショナルデパートとファンの間には密接な関係が生まれている。そしてその雰囲気は一部ファンのみならずしだいにその周辺へと広がっているというのが2010年のナショナルデパートを取り巻く環境の変化だったのではないか。

催事屋になってはいけない

ナショナルデパートの売上構成の中で全国のデパートでの催事出店は重要な位置を占めつつあるが、これに頼って拡大を図るのは数年後に訪れるであろう商品の陳腐化に対応するのが遅れてしまう。現在の売上を重要視するのか、数年後に商品カテゴリーを一般化させることを重要視するのか。という狭い選択肢の中で自ら進むべき方向性を見出そうとしているのが正解なのかどうなのかは正直わからない。でも、ここでコンサルを走らせて売面確保したところでただの催事屋になってしまう。ナショナルデパートが対峙しているのは国内大手やヨーロッパから日本に進出してきた老舗のブランドや、国内ライセンシーである大手商社やオペレーションを担当する大手食品事業者であるため、現段階で商業施設でブランドを消費させてしまうことが得策ではないと判断している。コンサルを使って催事出店して回る地方の事業者は腐るほどいるし、それらは一様に尊敬されずただ売上確保のための駒としてしか存在し得ない。

売上を伸ばすために何をすべきかよりも

尊敬されるために何をすべきかを考える

主要製品をOEMするというのも最近の流行だけど、それではただの催事屋になってしまう。本当に大きくなる食品企業は必ず強力な製造システムを自社内に持っている。少し前に流行った半熟カステラも完全OEMでやっているけど、あれも最初は他社が始めたレシピをパクってOEMで作らせてコンサル走らせて売面確保してるだけであり、小売価格がある程度確保されている場合に有効な手段であって、そういうやりかたが「催事屋」があまり良く思われず誰からも尊敬されない原因にもなっている。売上だけが欲しければそれでもいいのだが、でも尊敬される企業とは何かを追求すると、やはり食品企業は開発や製造が心臓部でなければいけないと思っているフシがナショナルデパートにはある。

いま尊敬されなければ、この先に尊敬され敬意を払われることはない。どんなに売上を伸ばしてもシェアを広げても本当に尊敬されるという品格は金銭では買うことができない。売上の拡大は企業の宿命だが、リスペクトされるかどうかは企業の成り立ちに大きく左右される。尊敬されるかどうかは他者との関係性から得られる結果ではなくて、企業自身が選択するもののように思えてならない。だからこそ今ナショナルデパートが何をすべきかがこの先のすべてを決めると言っていいだろうと思う。

メディアでの取り上げられ方が変わったことについて

メディア掲載については後ほどサイトを整備するとして、取り上げられ方の変化については特筆すべきものがある。昨年の「雑貨カタログ」でデザインについて4ページにわたって取り上げられ、エルマガジン社のムック「東京通本」ではヒデシマのキャラクターを紹介していただき、今年発行された「絶品 大人の定番パン」(KKベストセラーズ)では初めてカンパーニュのカテゴリーページに掲載していただいた。邪道外道と呼ばれていたナショナルデパートのカンパーニュがルヴァンやモワザンと並んで紹介されるようになったのは、新しいパンの1種類として認知され始めたことの証ではないかと思っている。また年末に発行された「オズマガジン」においても巻頭で4ページ紹介され、さらにその内容がパンの紹介にとどまらず、ナショナルデパートが訴え続けていた「分け合う」というストーリーの大切さに触れていただけたことが何よりも嬉しかったことだ。

商品の新規性やデザインの独自性は、もしかするとすぐにでも模倣することが可能だ。しかしブランドの成り立ちや関わっている人たちの思いというのはどうやっても模倣することができないし、僕の頭の中に眠っているアイデアやブランドに対する愛情もも盗まれることはない。こうやってメディアでブランドの肝であるストーリーや志を紹介していただけるようになったのはそれこそ、お金を得る前に心を得ていく、という僕の信条そのものが理解され始めたのではないかという印象だ。

独自ブランドの総合デパートを実現させるために

10月にフードショーで発表した新ブランド「カノーブル」や12月にリリースした「リーブルディマージュ」長期保存可能なカンパーニュ「フレッシュパック」(クイックカンパーニュの派生)など、今年は意欲的に新ブランドの開発を進めた。思いついたことをすべて形にするという今年の年初の目標は達成したのではないか。またその新ブランドの発表に対しての反応がだんだんと大きくなってきているというのも今年感じた新鮮な感覚だ。パンの中でもとりわけ古くからある「カンパーニュ」をここまで革新していくのはナショナルデパート以外に他ないというのは自他共に認めるポジションだと思う。

カンパーニュのパッケージやペーパーバッグにプリントされた意匠の中にはあるメッセージが書かれている。

Technique traditionnelle et nouvelle technologie.

(伝統的な手法と最新の技術)

ナショナルデパートのブランドとは何か、それは常に革新を求め古きを知りさらなる新鋭の製品・サービスを産み出していくことに自らの存在価値を求めていく姿勢なのではないか。より多くの技術を開発し特許を出願し続け、洗練されたパッケージを産み出し続け、世の中に未来の食品、ひいては未来の私たちの生活ライフスタイルを問い続ける姿勢。ここにこそナショナルデパートという存在の意義がある。だからこそ常にオリジナルであり続ける必要があり、常に革新的である必要がある。

今までもこれからも、大切なメッセージは変わらない

今年一年を振り返って思うのは、心あれば無視されることはない。という事に尽きるのではないか。そう思っている。最初は「なにをいっているんだ?」と笑われたことも、七年間訴え続けていると徐々に人の心に浸透してくるのだなあと。ただ上滑りに言葉だけを並べているわけではない。この言葉こそがナショナルデパートを今まで続けてこられた支え「四季のカンパーニュ」の生まれた背景でもある。今年12月に発行した絵本「ふゆのおわり」の裏表紙にもいつものメッセージは書かれている。これはこの先変わることのないナショナルデパートの心であり大切な根幹である。

We share love like bread.

パンを分け合うように愛を分け合う。

小っ恥ずかしいセリフだが、言い続けていないと人の心には届かない。同じようにナショナルデパートもどんなに困難があろうとも続けていかなければ未来を創りだすことは出来ない。自分たちが未来の一部分を創りだすんだという決意、その根っこにある大切なモノをこの一年を通して知っていただけたのではないかと思う。手法や見せ方はいろいろあるが、メッセージなき製品は人の心打たない、愛なきサービスは未来に残らない。やっとここまできたのか、まだここにいるのか。それは分からないけれど、この一年がナショナルデパートにとって重要で一日たりとも無駄でなかった一年であったことは、僕もワイフもスタッフも支えてくれたお客様にも実感していただけたのではないか。

これからもずっと未来を見せてあげるよ。

2010年12月31日

ナショナルデパート株式会社

代表取締役 秀島康右