アイデアのスープのレシピ

アイデアのレシピ集

地方で何かするなら他所を視察に行かない方が良い

まあ、死ぬほど仕事が詰まっている状況でもこうやって気になったことがあるとブログを書いてしまうわけです。けっこう重要なことだと思うのでメモ代わりです。いつもどおりですね。

地方って言うのは常に凋落の恐怖に晒されているわけです。まあ日本の人口が減っているわけなので地方がどうとかの問題とは思わないんですが、なぜかみんな自分の住んでる町が寂れるのが嫌なようです。そりゃあ誰だって自分の町が寂れたら嫌だろうと言われる向きもあるかも知れませんが、人の営みがずーーーーっと同じ場所で栄枯盛衰の無い状態で永続していくことの方が怖いと思うんですがね。栄える町あれば枯れる町もあるわけです。

まあ、そんなことはみんな心の中では理解しているんだと思うわけです。なんだけど、どの地方都市にしても過去には栄えていた時期っていうのが等しくあって、それは徒歩で往来していた時代の街道沿いとかそこから網の目に広がる宿場町だとかいろいろね、もう何百年も前の過去の賑わいを引き合いに出して「昔はこのへんも栄えていた」とか言い始めたらキリが無いと思うんですよ。過疎っていくのが嫌なのは分かるんですがそれは自然な流れなのであって、過疎ったら振興策を考えて補助金もらって何かしなきゃとか、ゆかりのある有名人の何かを展示する建物を建てるための予算を通さなきゃとか、名物をでっちあげて町おこししなきゃとか、焼きそばアレンジしてB級グルメ考えなきゃとか、そういうジタバタをやってしまうわけです。

で、そういうとき悩める地方の人が何をするか。

そういうとき禁断の麻薬「視察」に手を染めてしまうわけです。

同じような寂れた地方都市で町おこしに成功した事例を「視察」に行くわけですね。何も町おこしだけではないですね、飲食店なんかも地方や都会で流行っている店に「視察」に行くわけです。なんで人は視察に行くのでしょうか。答えは簡単。真似するためです。こう言うとみなさん反発します。「参考にさせてもらう」とか言うでしょう。でも、視察に行く人はずーっと視察し続けます。そして自分の町、自分の事務所に帰ってどうやってアレをパクってウマくやろうかと考えを巡らせるわけです。場所さえ変われば同じことをやってもかまわんさ的な感じで全国に道の駅や野菜の直売所が乱立したり、最近だと古い民家を改装した卵かけご飯屋さんが乱立するわけです。

視察が生み出すものはコンテンツの拡散です。ものすごく簡単に言うとですが。視察に行く人はみんな必ず困っています。町が過疎って困っているのだけども何をしたら良いのか分からない。何かしたいけど何をしたらウケるのか分からない経営者たち。アイデアのきっかけになればと思って視察に行くのですが、いざ現地で見ていると自分も同じことがしたくなってしまうわけです。したくてしたくてウズウズしちゃうわけです。そしてうまく真似て成功したら今度は視察される側にまわります。いろんな理由で実行できなかった人はどうして自分が同じことができないかという理由を並べ始めます。そして落胆し、そしてまた別の視察対象を探す旅に出るのです。

こうやって視察スパイラルにハマるわけですね。自己啓発スパイラル、セミナースパイラルにも似ています。視察するものが情報なので情報商材スパイラルとも似ているかもしれません。自己実現病を患った人が町おこしの担当者になってしまうとけっこう大変なことになるかもしれません。

僕は食べ物を扱っているのでそのへんで例を挙げると、地方のケーキ屋さんが面白いと思います。どのケーキ屋さんにもロールケーキがあると思います、あとプリン、牛乳瓶入りのものなんかもあるかも知れませんね、あと焼き菓子なんかもあると思います。チーズケーキもあるでしょう、忘れてましたシュークリームも、、、と例を挙げるとキリが無いのですが、僕はこのごく一般的な光景を不思議に思うのです。どうして田舎のケーキ屋さんまでみんな同じ品揃えなのか。視察とは直接関係ないのですが、コンテンツの均一な拡散という意味では同じだと思います。いわゆる駅弁商売と言われるものです。

みんなが流行っているコンテンツを参考にして真似ることで、どの町にも少し違うだけで中身の同じものが並ぶようになります。どの町にも補助金で建てたアーケードの商店街があった昔から、そうやって全国津々浦々に同じコンテンツが浸透していたわけです。そうやってこの国は田舎も均一に発展していたわけです。均一化が町を枯らせるという事実を誰も指摘しないのはなぜでしょうかね。しかしやはり時が流れていく中で人の流れも変わり人の集まる町から過疎ってしまう町まで差が出てきます。そしてまた視察によって画一化された地方コンテンツというものが拡散していくわけです。

岡山の飲食関係の知り合いにも視察漬けになった人が多くいます。どこそこの何が年商いくらで結構うまい商売らしい俺もあれがやりたいとか、そういうたぐいの話しなのですが万事がそういう会話になります。大阪や東京のデパートや路面店に視察に行ってそれを真似て岡山で商売を始めて、岡山にもこういうお店ができたんだね的な感じで流行るのですがそれは岡山の中でしか通用しません。欲が出て東京に進出してももうすでにそれは終わったコンテンツなので並の成果しか出せません。東京や大阪のコンテンツを真似て地方で成功して東京に進出するなんて馬鹿げたことをしようとしてしまうのが視察スパイラルにハマった人たちの末路です。

地方で何かやるならどこにも無いものをやらないといけません。地方で物真似商売をすると先に書いたようにそこから発展し辛いです。間違っても唐揚げ屋とかマフィン専門店とかを始めて東京に進出するんだとか思わない方がいいです。それはすでに終わったコンテンツです。もしあなたが地方に住んでいて、何かがしたくてウズウズしていて、他所に視察に行って俺もこんなビジネスがしたいと思うものに出会ったら、悪いことは言わない止めておきなさい。視察しているのはあなただけでは無いのです。あなた以外にも何百何千もの人たちが何かを真似ようと視察を繰り返しているのです。

地方で何かするなら他所を視察に行かない方が良いと思います。それは地方都市がどんどん寂れている現状を見れば分かるでしょう。画一化されたコンテンツはやがて枯れます。また誰かを真似なければいけなくなります。成功するまでセミナーに通い続ける人を見てあなたは感心できますか。僕は感心しません。セミナーに通えば成功できるのならみんな通いますが、みんな成功しているとは到底思えません。同じように視察をしている人や自治体がみんな成功しているのかといえば、そうでないことはみんな知っていると思います。他と違うということはリスクも伴いますが、真似て同じであるよりは希望が持てるというものです。