アイデアのスープのレシピ

アイデアのレシピ集

ナショナルデパートのデザインと経営の問題点(パッケージ)

昨日オノと女王製菓について話しながら思ったこと。

デザイナーはデザインすることをずっと考える職能で、企業だとそこにマーケッターとかが加わって製品の企画とかが出来上がるという、デザインが製品開発の一連の流れの起因となる要素なんだなあ。と。開発が製品の規格を作り、デザイナーがガワを作り、営業とセールスプロモーションが販路と売り場を作る。マネジメントは経営の管理になるんだろう。という一般企業なら当り前の行程をナショナルデパートは一人で作ろうとしている。そこに限界がある。

デザイナーはどうやったら良いものが作れるかという考え方で発想するんだが、僕はまず決められた予算の中である程度の売上を出さなくてはいけないので良いものをじっくり作るというよりも、この企画を早めにペイして次の企画につっこむ資金を作らなきゃいけないということが一番の考え方になる。そうやって資金を捻出しながら新しい企画、例えば女王製菓だとかシェアカンパーニュの絵本だとかを実行していく。

そのもののコンセプトやカタチとかにこだわってパッケージを作る姿勢を見て「やっぱり専門職は違うなあ」と感じるわけだ。新しい作品のコンセプトを聞いて深いねえと感じたりするのは、そのもので勝負するクリエーターの考え方を尊敬する部分なんだろうな。僕にはできないなあと思うのは経営者の立場としてできないのではなくて、僕自身に染み付いたデザインの役割の認識の違いがそうさせるんだと思う。

僕は売り場とかマスコミの取り上げられ方とか単製品の損益分岐点を睨みながらデザインするスタイルになったのは、ナショナルデパートにはマーケティングもプロモーションもいないし外部委託する資金も無いという状況だからだ。売り場も高円寺しか持っていないので展開が遅いためそこを補うために製品の面白さや話題性で突き抜けていかなければならない。

いつもどおりよくわからなくなってしまったがオノに言われた言葉で印象的だったのは、「普通は何人かでディスカッションして作るんだよ」ということ。そうだな、社内に身近に相談できるデザイナーがいないというのが一つの問題点なんだろうなあ。デザイナーが経営をしているのではなくて、経営者が経営の一環としてデザインしていることにも少なからず問題があるのかもしれない。