アイデアのスープのレシピ

アイデアのレシピ集

死んでいた僕が生き返ったときの詳細。

おじさん二人が笑ってるねえという写真。ではなく。明治通りにオープンしたTAKEO KIKUCHIの旗艦店3Fにできた「R?fectoire」のレセプションで西山さんと一緒に撮ってもらった一枚。

何から書けばよいのかよく分からないけど、この写真の前の日まで、僕は死んでいたわけです。6月に、さあ!ふるさと岡山に帰ってきましたよ~と意気込んだ駅ビルの店がズッコケて、おまけに創業の天神町店の売上が75%も落ちてしまい、再起不能に陥ってしまったのです。毎月すごい額の赤字が垂れ流され、もう何も考えられなくなってしまっていて、焦燥感に苛まれていて、ずっと頭が混乱して何も手につかず生きたまま死んでいるような毎日を過ごしていました。ウチぐらい小さい規模だと毎月3桁万以上の赤字が出たらかなり堪えます。持ち物をすべて処分しても追いつかず、あとは家も処分して岡山の店を閉めて東京に出奔だな、という所まで家族で話し合いも済んでいました。

そんなときに西山さんがお店を出すということを知り、いろいろと調べているとアパレルブランドの旗艦店にサンドイッチ屋さんを出すという。その情報を見た時に僕は思い出しました、西山さんと飯を食いながら話していたことを。2~3年前になるでしょうか、氏は究極にはファミレスを作りたいんだと言っていた。パン屋がパンを焼かない日が来るのではないか的なことを二人で口から泡を飛ばしながら話していたのを思い出します。氏はシェフで経営者という立場から、僕はデザイナーという立場から、パン業界、個人の経営するリテイルベーカリーという業界を変えていく突端になろうとしていた。レベルは西山さんの方がはるかに上ですが。

デパ地下にパン屋があるのは当たり前、それは僕も全国の百貨店で見てきた。それがアパレルビルの1F正面やアパレルブランド旗艦店の中とか、そうか、それが西山さんの答えか!それに気付いたとき僕の体の中の血が沸騰しました。氏の周到な準備はその流れを作るためにあったのか!と。僕が店舗とは別件でインテリアや雑貨業界の方面に進み始めている時に西山さんはアパレル業界にグイグイ食い込んで行っていたわけです。気付けば二人とも3年前に話していたことを実行に移し始めている。そして氏は大きな一歩を踏み出していた。

そうか、進むしか無いのか!そうひとりごちていたらTwitterのDMが届きました。西山さんからです。実は僕は西山さんと距離を置いていました。理由は特にないのですが、なんとなく他の人たちともあまり会わないようにしていたのです。経営が苦しくなると余計に人を避けるようになるもので、ここ半年は岡山にずっと引きこもって誰とも会わずに過ごしていました。そんなときに、氏が出店するというニュースを見て興奮している時に当の本人からDMが来たのです。内容はレセプションへのお誘いでした。もちろん二つ返事で行きますと返事しました。返事する前に新幹線のチケットを買いました。金は無いけどここで行かなかったらいけないという予感がしました。

有名なシェフ、美味しいパンをつくるシェフ、儲かっているシェフ、いろんなシェフがいますが、僕の見ている先を進む人は今のところ西山さんしかいないわけです。だから見ておかなければいけなかったのです。明日にはパン屋を廃業するかもしれない僕だけど、ここは見ておかなければいけないと思いました。

写真を見ていただければ分かると思いますが、僕いい笑顔してます。ずっと塞ぎ込んで悩んで苦しんでいたのが嘘のように。この日の夜、進々堂の続木社長、Zopf伊原さんご夫妻、ポンレヴェック大山さんご夫妻、清水さんご夫妻、木村屋の酵母室室長だっけ?と代官山のシャレオツなお店にご一緒させていただき、僕は仕事が残っていたので中座しましたがものすごく気分がほぐれました。最高にリラックスできた夜でした。

今、僕は印刷所から届いた新しいパッケージを手に取って眺めています。来年には梅田阪急の雑貨売場でパンを売るという新しい展開も始まります。フェスティヴァンでお披露目したパンで肉を作るというのも大好評でした。レセプションの夜、西山さんとハグして以来、僕は生き返ったのだと思っています。相変わらず岡山の経営は苦しいですがでも相変わらず他の土地の人たちが支えてくれています。また新しいものを作り始める気力が出てきました。

その夜、僕は氏が僕にこう言っているかのように感じました。

「ヒデシマさん、まだそんなところにいてはるんですか?」

はい先輩、僕も、がんばってそっちに行きます。