アイデアのスープのレシピ

アイデアのレシピ集

個人名から社名、そして製品・サービス名へと移行する契機を見た雑感。

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まあ、人格否定されるのは昔から慣れてるし、パンが主事業だった頃に、さんざん主婦ブログで叩かれてたので、免疫というか、少々叩かれたところでなんとも思わなくなったし、でも、そういう心の準備ができて、ここ数年の、いざ勝負、となると、なぜかまったく叩かれなくなっていて、拍子抜けというか、なんだよ、ここが叩きどころでしょ、と逆に要求している自分もいる。まあ、陰湿なイジメは多いけど。

 

いままで10数年、邪道外道の獣道を歩んできた身としては、己の道が正道であり、歩んだ轍が己にとっての王道だという、まあ、ごく普通の考えに至ったわけだけれども、いつのまにか僕の個人の資質から、会社の発信する製品やサービスに矛先が移行しているんだなあという感慨深いところもある。

 

個人から法人へと変わるというのは、会社を設立したからといって即座に何かが移るというものではなくて、社会と接触するインターフェイスが、経営者である僕の個人名や個人の顔から、提供する製品名、展開するサービス名にすり替わっていくという、そういうことなのかなあと思ったりする。

 

ウチはほとんど100%が僕の発想やら考えやらで製品やサービスを作っているわけだけど、創造の根源には個人的な気分や考えはほとんど入っていなくて、わりと大局でものを見ているような感じだと思う。

 

う〜ん、なんというか個人のプライドや、個人の欲みたいなものがほとんど無いので、プライドや欲がある一般的で正常な人にとって、僕という人間は扱いにくいんだろうなあと。

 

大きく見ると、こうやったほうがいいよね、ということでも、裁量権をもった人の個人的な考えでいろんなことがねじ曲がってしまって、ああ、やっぱ、ちっさいことでそうなっちゃうのね、というのは若い頃から散々見てきたし、大局で見れば些細な事でも、問題の対象が個人となると、プライドとか欲とか、そういうつまらないもので、物事がつまらなくなってしまうことって多い。

 

「おもしろさ」っていうのは、誰が何のために作ったのかよく分からないものに宿る気がしてる。最初はおりゃーっと勢いのあるものを作るんだけど、そのうちにお行儀が良くなって、だんだんとこなれてきて、そしてモノやサービスとしては死んでしまう。おもしろいままでいられる時間というのはとっても短い。

 

頭のいい人が寄ってたかって考えた結果に出てくるものって、言葉で理路整然と説明できる物が多くて、まあ、それはだいたい税金を引っ張ってくるための言い訳が必要だったりするからだろうけど、でも、まあ、だいたい、感心するんだけど、お金に群がる有象無象の姿が見えすぎてしらけてしまう。

 

僕のように「頭が悪い人が作った頭の悪いモノ」と、スマートな出来の「頭の良い人が作った頭の良いモノ」と、爆裂する「頭の良い人が作った頭の悪いモノ」と、世の中に氾濫するその他の「頭の悪い人が頭が良いと思われたいために無理して作ったどーでもいいモノ」という4つしかないような気がしてる。

 

正しい正しくないはそれぞれにあるとしても、それぞれ社会の成員が自分なりの個性的なサービスや製品を生み出していければ、それはそれで楽しい社会になるのだろうし、まあ、そうでないと多様性というのは生まれない。

 

話は戻って、社会に接するインターフェイスが僕の個人資質から、会社名になり、製品やサービス名になるというのは、仕事を進めていく上でかなり大切なことで、これは狙って出来ることではないし、やはり時間がかかることだったと個人的には思うし、じゃあ、これからどうするの?という問いを毎日のように自分に投げかけながらこうやって仕事をしてます。

 

明日は新サービスのリリース、いやイット企業としてはローンチですか、それが3つも4つもあります。饅頭屋としての発表もひとつあるので、今夜は寝れそうにありません。でも、今夜は暑さも過ごしやすそうで、もうちょっと頑張ってみようと思います。