アイデアのスープのレシピ

アイデアのレシピ集

単なる思いつきや一瞬の閃きなんて意味無いよなんて言ってごめんなさい。

しかし、あれですよ、アイデアは形になる一歩手前まで出来ないと意味無いと思ってたんですよ。机上の空論や、単なる思いつきや、まぐれの一瞬の閃きなんて意味無いなんて言ってたんですよ。

しかしね、あれ、嘘でした。

当該ブログはこれね。 

blog.hideshima.net

 

色んな人と喋ってるとね、答えが出ないまま堂々巡りになることなんざあ、しょっちゅうでね。解決策を探ってるのに言い訳に終始したり、打開策を探してるのに粗探しになったりしちゃうんですよ、人間ていうのは。

閉塞した状況に対しての解決策がないから新しいことを試すわけですよね。なんだけど、その新しい方策というのが出てこない場というのはあります。よくある。

 

他所の事例をいくら持ち出しても、それは新しい解決策にはつながらんのですよ。本当に難しい。成功事例から学ぶ段階というのはそんなに無いと思うんですよね。

他所の成功事例や失敗事例を並べても、何も先には進まんのです。ここまで来た結果の蓄積からで、その結果が良くも悪くも血肉なわけですから、そこを踏んで先に進まないと駄目なんだと思うんですよ。

 

何が言いたいかって、世の中には単なる思いつきや一瞬の閃きすら浮かばない人が多いということです。

いやほんと、いるんですよ。

僕はいままで数百人と見てきました。

 

何も出てこないんです。建設的な意見が。

 

なので、形にならない単なる思いつきや意味のない一瞬の閃き、大切にしていきましょう。ガンガン脳を振り絞っていきましょう!

アイデアが湧いて出てくるための「することリスト」アイデアのスープ(初級編)

最近は新宿土産を作ったり神棚を作ったりしている秀島です。

食うための仕事と目指す仕事の両輪を回してるので、なかなか痩せる暇がありませんが「アイスクリームは冷たいからカロリーゼロ」という金言を信じてダイエットに励んでいます。

 

さて、僕の先生でもある(何の先生だ?)フジイ先生の新作

新規事業アイディアに価値はない的な話とか、あるいはPMFの前に自分たちがやるべき事業か考えるべきとか、そういう話。 | フジイユウジ::ドットネット

に触れて、アイデア好きのヒデシマとしてはさすが先生良いこと書いてる!と膝を打ちました。さすが、フジイ先生、そこにシビれるあこがれるゥ!

しかし、起業家であるフジイ先生の視点で書かれた内容だと、おそらく事業の立ち上げ未経験者とか、起業ワナビーのような、まだ起業の酸いや甘いの轍(わだち)を通っていない人には、具体的にどうやったらアイデアが浮かぶのかという初歩中の初歩のことは思い浮かびづらいと思うんですよね、ですからフジイ☆チルドレン(なんやそれ)の不肖ヒデシマがそのあたりを書いてみようかと思いました。

まずはフジイ先生の新作のリンク。

fujii-yuji.net

 

アイデアとはなんぞやという

で、僕も色んな人から無限回数質問される内容で、「どうやったらそんなアイデアが浮かぶんですか」というのがあるんですがね、いつも答えるのは「アイデアはドブに捨てた金額に応じて出てくるんですよ」としか答えられなかったんですよね今までは。

それをアカデミックに、かつソフィスティケートされた言葉で紡ぎ出したのがフジイ先生の金言です。

 

事業アイディアと呼ばれているものは「貯めた知識や経験から出てくる閃き」だったり「その知見から得られた閃きを更にヒアリングや調査で磨いたもの」だったりする

SEX AND THE CITY的な都会的な回答です。

「アイデアは知見から得られた閃きであり、その閃きをさらに磨いたもの」

金言ですね。流行語大賞には長文ですがアイデアの本質を見事に言い表しています。今後はこの言い方を丸パクリしてモテたいと思います。

で、ここでアイデアとはなんぞやという規定がなされたのですが、これだけでは世の中の「アイデア」と捉えられている言葉と齟齬があります。

僕のもとにもいろんなひとからいろんなアイデアが集まってきます。しかし、ほぼすべて実用に堪えられない「思いつき」がほとんどなのです。

「もっとこうしたらいいんじゃない?」とか「たとえばこんなのどうでしょう?」というのはほとんど思いつきです。アイデアと言うよりも、他人の言動をみて脊髄反射して出てきた「思いつき」は「アイデア」とは言えません。

このことをフジイ先生は福音書でこう言われています。

 

アイディアの出し方を質問してる人は、「なんで閃くのか」という意味ではなく「当たる仮説ってどうやって出してるですか」って訊いてるわけですよね。

痺れますね。

そのとおり、当たるとまでは行かなくても、「事業化までスムーズに運んでなんとか行けそうだなという予感がするまで進ませられるアイデア」が浮かぶにはどうすればいいか、というのがアイデアが浮かばないみなさんのお悩みの本質なんですよね。

なので、形にならないアイデアは社会や人にに対する脊髄反射で出た単なる「思いつき」であって、それはアイデアじゃないよねということになります。

アイデアとは社会の一部になる予感が大切なんです。

 

アイデアはクリエイティブじゃないっていう

さて、みなさんはアイデアはクリエイティブ的なカッコいいキラキラだと思っているフシはありませんか?自分も画期的な事業アイデアを閃いてキラキラした起業家ライフを過ごしたいと思っている人も多いと思います。

しかし、ご存知の通りそんなキラキラした起業家ライフを過ごせるのはほんの一部。それは多くの人が「アイデアはクリエイティブ」だと思っているからなんですよね。アイデアは実はクリエイティブでもなんでもないんです。

「アイデア」をクリエイティブの範疇とするなら、その対極にあるのが「オペレーション」だと思ってます。この「オペレーション」こそが、思いつきや一瞬の閃きをアイデアに昇華させるのに必要な絶対条件となります。

 

アイデアは実務の積み重ねでしか有り得ない 

例えば、よくある話で「アプリを作りたい」というのがあります。年間10人以上から聞くでしょうか。自分のアイデアをアプリにしたらどうだろうかという相談ですね。

しかし、それだと一歩も進みません。まずはアプリ制作業者を探してオリエンして見積もり出してもらって…とかになりますよね。そうじゃなくて、なにか事業の閃きが浮かんだら、その日のうちに仕様を書き出してアプリのモックまで仕上げて初めて事業アイデア足り得るわけです。

すごい人はこれを何百回、何千回も繰り返します。アイデアとは浮かんだらすぐ形にして、世の中に出ないアイデアを無数に作り上げていく作業の賜物です。 

アイデアとは、閃きや思いつきを世の中に出せる一歩手前まで作りあげて、検証する段階まで進んだ状態だと思います。ということは、アイデアはオペレーション周りに明るい人に下りてくるという他ありません。

 

アイデアが湧いて出てくるための「することリスト」

ここまで書いたアイデアについてまとめてみます。

  • 前提:単なる「閃き」や「思いつき」はアイデアじゃない
  • すぐに設計が頭に浮かばないものはアイデアじゃない
  • 最低限見せられるようなものを作れるようになる
  • 思いついたらその日のうちにモックまで作る
  • 思いついたら他人に相談する前にモックまで作る
  • アイデアを形にする作業をとにかく繰り返す
  • キラキラした起業家になる妄想は置いておく

 

ちょっと仕事なので今日はここまで。

中級編はまた後日。

誰でも15分間は有名人になれる未来に、あなたはどう生きるか。

直接面識のないHagex氏の事件を受けて。

氏の追悼の意味で。

炎上とかバズるとか、まあ言い方は色々あるけど、自分が書いたブログやツイートにすごい数の反応が返ってくるのって、最近は特別なことじゃなくなってきてる。

最近のいろいろな事を見ていると、1968年にアンディ・ウォーホルが言った "15 minutes of fame"という言葉を思い出す。

 

「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」

アンディ・ウォーホルのこの言葉から50年後の今、彼の言ったことは本当になった。舞台はTwitterやFacebookやInstagramなどのSNSの中だ。

スマホが普及し、誰もがスマホから簡単に発信できるようになり、受け手もまたスマホの中でそれを楽しむことが出来る。シェアやいいね、リツイート、誰でも15分間有名人になれる様々なツールが用意された。

面白い画像、ほっこりする画像、ショッキングな動画、事象に対するウイットに富んだ言及、シニカルな考察、鋭い経営論、成功談、失敗談、激しい舌戦。これらのSNS上の投稿に対して当事者外部から注目が集まり、いいねが押され、シェアされ、リツイートされて拡散する。

自分の投稿が初めてバスった時、バズっている間、日々の平凡な生活の中で味わえない「何か」を感じ、胸が熱くなり、高揚感で全身に電気が走ったような快感を味わう。

 

一般人以上、有名人以下のわたしが気持ちい

この絶妙なポジションを得て、鳴り止まないスマホの通知に心を躍らせるときが来ると、SNSの中で自分が認められたような気持ちになる。リアル社会とは違う、なにか不思議な、仕事でもなく、プライベートの裸の自分でもなく、自分が発した言葉がネットの中に漂いあらゆる隙間に入り込み、浸透し、爆発する。

面白いネタを持ち寄ってTwitterで披露したり、時事ネタに対してFacebookで正論を吐いて喝采を浴び、NewsPicksで俺様の経営論を語って気持ちよくなり、Instagramでウマそうな食事の写真をアップしてはいそいそとハッシュタグを付ける。

そう、いまは誰でも世界的有名人になれる未来になったのだ。アンディ・ウォーホルが発した言葉から50年後の未来に。

そして50年後の今、SNSでの拡散、ブログでの発信、それらはダイレクトにお金につながるようになった。SNSやブログを使えば、誰でも有名人になれ、そしてお金を稼ぐことが出来るようになったのだ。

発信することで認められ、一般人よりも少し有名で、少し影響力を持ち、有名人のように責任を追うこともない。いまのわたしが気持ちいい状態。アンディ・ウォーホルが予見したよりも未来の人の心は承認欲求を満たすために全力疾走している。

 

あなたがバズったとき、誰かがあなたに殺意を抱く

みなさんあんまり経験ないだろうけど、炎上したりバズると「殺してやる」とか、「死ねよ」とか普通にコメントとかメール来る。わりとカジュアルにくる。店や会社をやっていると、スタッフや社員に対しても「死ね」とか「辞めさせろ」とかメールが来る。

はてなブログに引っ越して程なくバズったとき、いろんな人から気をつけろよと忠告を受けたのを思い出す。バズるというのは50年前にはなかった快感を得ることが出来る新たな刺激だ。しかし、バズった時、ネットの向こうに広がる見えない場所では、バズったことに嫉妬し、敵意を抱き、殺意を覚える特殊な人達がいる。

揚げ足を取り、あることないことを書かれ、誹謗中傷が飛び交い、事実でないことが書かれて拡散し、普段はおとなしいSNSアカウントたちが鬼のように義憤をたぎらせて叩きのめそうとする。

なにもそんなリスクを負わなくてもとよく言われた。しかし先にも書いたが、発信は数字につながる。炎上すると心がボロボロになる。でも、炎上させようとする勢力よりも共感してくれる人が多いとバズる。そして数字につながる。少し強めの言葉で書いても、スレスレで反感を買わなければ「バズる」に転ずる。そしてより一層数字に結果が出る。

もう麻薬に等しい。

何者でもなく、能力も低い僕が生きていくには、発信し続ける事しかなかった。SNSやブログの発信で得たノウハウを仕事でも使った。リリースすればするほど売上が上がった。何もしなくても定期的にバズって取引先からの注文が入った。

しかし、バズり続ける仕事に嫉妬し殺意を抱いたのはSNSやブログの住民ではなかった。本当に殺しにかかってくるのは「人」だということに僕は気づいていなかった。

 

ネットでバズっても、リアルで反感を買うと人に殺される

ネットでバズり続ける仕事に水を指したのは、ネット上の炎上勢力でもなく、粘着でもなく、リアル社会の既得権益者である「人」だった。

歴史ある「社会」があり、「人間関係」があり、「ヒエラルキー」がある業界で、ネットでバズって序列を乱すのはご法度だった。

ネットなら殺害予告や誹謗中傷で済んだ話だが、リアルではそうはいかない。リアル社会のヒエラルキーの中で代々続き長年生きてきた彼らは、面子を潰した新参者を徹底的に殺しに来る。

ある時からブログの発信を緩やかにしたのも、そういう理由があったからだ。単純に疲れる。自分が、仕事が名を売る事に殺意が押し寄せてくる。人の恐ろしさをリアルに感じた。

今はもうバズろうとか、有名になろうとか思わなくなった。SNSでの発信も、このブログでの発信も、プライベートの延長程度に止めている。もう、食えれば十分。必要以上に、自分の身の丈以上にビジネスを加速する必要など、能力の低い僕には無かったんだ。

今日も友人に言われた。

「もっとガツガツいく案件なのかと思ったよ」

もうガツガツいかないよ。ガツガツして結果を出しても、単騎で乗り込むにはリアル社会は残酷すぎるし、名家の生まれでない名士の子息でもない「ぽっと出」の僕なんて目立てば簡単に殺されるさ。

 

正しさを強弁する今のネットの未来はどこに向かうのか

最近は他人が反論できない正しさを強弁するのが目立つ。

少々言葉が荒くても、正しいことを主張し実践していれば認められるという風潮が目につくようになった。徹底したエゴサーチで自分の主張に言及したツイートを地獄の底まで探しに行き、喧嘩を売り、自分の正しさを強弁し、フォロワーに叩かせようとする。

このブログでも何度も書いてるけど、正しさなんて人によって違う。いいねの数やシェアやリツイートやアクセス数が多い主張が正しいというわけではない。しかし今のSNSでは数の暴力が横行しようとしている。これは実は怖いと感じている。

安全な場所にいて自分は幸せだとマウンティングする人も多い。でもそういう人ほど心が病んでると感じている。病まないために、自分はここにいるというピンを打つ作業が発信といえる。発信したものが、他人にどう受け止められるかなんて、もう放って置くしか無い。何が正しいかなんて、誰にも分からないんだから。

発信して、共感されて、でも共感を集めれば集めるほど真逆の敵意を集めてしまう。そういうリスクがある。ネットにもリアルにも。

今は共感を集める時の人でも、一歩間違うと明日には刺されてるかもしれない。ここ数年の綺麗事でネットに関わってる人、自分の正しさを認めさせようと強弁する人は、そういうリスクを知らずにやってるんじゃないかと思う。いや、そこも計算済みなのかもしれないけど。

リアルに流行があるように、ネットにも流行がある。しかもネットの流行り廃りはサイクルが早い。正しさを強弁する今のネットの未来はどこに向かうのか、僕は興味深く見ている。

ネットで目立てば殺される、リアルで目立てば潰される。

 

誰でも15分間は有名人になれる未来に、あなたはどう生きるか。

僕は今でも生き残り方を模索している。

 

進捗日記5月〜

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画像は神棚パーツの造形風景。

頼まれ仕事で事業計画書を作らないといけなかったので、ついでに自分の仕事の集計もしてみた。ついでになってないけど。

理事長の仕事

開始から1ヶ月経ったので全体の集計をしてみたんだけど、3年前に比べると売上で3倍、アクセス数は1/10という感じ。売上のほとんどは神棚。う〜ん微妙。

目標数値を設定していなかったので指標は3年前の数字になるんだけど、3年前は崇敬会をやってなかったしな。まあ、前例が無いというのは面白くもあるけど、すげえ怖いというのもある。

解析すると検索流入はやっぱり強いなあというのがある。売上のほとんどが検索から。まあ、神棚は今後もかなり伸びるなあという印象。あと検索から売上につながっていない数字も残っているので、ここをどうやってつなげていくかがポイントなのかも。

ここらへんはまたちゃんとブログにまとめようと思う。

みんな入会してください。

四社目の崇敬会が設立されたのでぜひご一読を。

広島県尾道市の艮神社は歴史ある拝殿の取り壊しで揺れています。うさぎの彫刻が複数設えられた全国でもここだけではないかという珍しい拝殿です。

sukei.jp

 

食品系

ナショナルデパートの今期の集計をしてて、期首から始めた改善が功を奏して岡山がやっと黒字になるかならないかのラインまで浮上。ゆきちゃんよく頑張った。

催事に頼っていた東京は今後は試作の拠点として稼働するのでかなり厳しくなるけど、腰を据えて仕事をしたいのでこれは良い決断だと思う。

depa.jp

プライベート

あと、半年悩んでいた自宅の引っ越しをやっと決断。ほんとは店舗兼事務所を引っ越したかったんだけど、ピンとくる物件なし。物件探しの時間が勿体無い。後回し。

地方が自立できない理由

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僕はいろんな仕事を並行してやっているので、さまざまなシーンで地方の現状に触れる機会を得ます。

そんな中で見た地方が自立できない理由について。

まず、地方が自立できない原因について、以下の二つを挙げておこうと思います。

 

予算を使い切らなければいけない矛盾

親戚を雇い身内で固めようとする習慣

 

地方には多額の補助金が投入されます。これは六次産業ブームの時にもあったんだけど、補助金はだいたい建物や機械などの設備に使用する目的に限定される場合が多くあります。これが必要以上の設備を揃えてしまうオーバースペックを生みます。

また、地方では狭い範囲の社会で長期間を過ごさなければいけないので、人間関係の軋轢が一生を決定づけてしまう場合が多く、不要な摩擦を防ぐために親戚などの血縁者を登用して、辞めさせにくい状況に陥ってしまい、不要な人員が大量に存在するオーバースタッフな状況を作ってしまいます。

 

オーバースペック(不必要な設備)

オーバースタッフ(不必要な人員)

 

オーバースペックは稼働率の低下を招き、オーバースタッフは単純に人件費が経営を圧迫します。

十分な設備があって十分な人員がいるなんて理想的じゃないかと思う人もいるかも知れませんが、実はこれが地方が自立できない大きな原因になっていて、どういうことかと言うと…

 

設備と人員がオペレーション側に集中している

という現状が足を引っ張っていると考えています。

 

建物や機械などの製造設備は揃っている、製造に関わる人員も豊富にいる、しかし、設備を効率化するプログラムがない、プロダクトを設計する設計者がいない、完成品を売り込む営業がいない、マーケティングを行うマーケターがいない。という状況です。

「動く人」はいるけど「考える人」がいないということです。

オペレーションは充実しているが、クリエイティブが存在しない。

事業を考える人がいないのに、製品を作る設備と人員だけが大量に存在している。これでは結果を最大化できません。事業をクリエイションできないわけです。どうしてこのような状況に陥ったかというと、地方の人達の意識に原因があると考えています。それは、

 

 

知恵とお金が外から来ると思っている

という考えが蔓延しているのが原因です。

自分たちは真面目に働きさえすればお給料がもらえる。どうすべきか、何をすべきかは、どこからか誰かがやってきて教えてくれるだろうという甘い考えがベースにあります。

これではコンサルに食い物にされるだけです。

また、どこかで事業にブーストをかけないといけないタイミングというのは色々な場面であるわけだけど、考える習慣が身に付いていないので、やらなければいけないことを先送りにしてしまい、仲の良い人間関係の中で現状の不満を言い合うような悪循環に陥りがちです。

本当は仕組みづくりなどのデザイン、マーケティングなどのクリエイティブに最初に資本を投下するべきなんですが、補助金消化や地縁の円滑化のためにいオペレーションパートに資本が投下されてしまいます。

これで「図体は大きいけど頭脳がない」といういびつな構造になるわけです。

自立とは文字通り「自ら立つ」ということです。

 

自ら立つ足を持ちながら、立ち方知らない。

 

これが自立できない地方の姿だと思います。

すべての結果を決めるのは自分自身なのです。

ちょっとおっさんポエム。

僕がなんかやろうとしてると、必死になって無理だとかそれは不可能だとか言って行動を止めようとしてくる人がいるわけです。

ときには人格否定までしてきて、それはもう必死で止めに来る。

世の中にある、あらゆる理由を持ち出して、僕のやろうとしていることがいかに問題があるか、実現不可能か、危険かを必死で説いてくるんです。

その時は、その人がどうして必死になって僕の行動を止めようとするのか理由はよく分からなかったんですが、最近ちょっと分かった気がします。

同じように僕を貶めようと必死になってアラ探しをしてくる人がいました。

ネットの外で知っているプライベートネタを公開のSNSで出してきて貶めようとしてきます。

時には、過去のブログの内容を漁って、わざわざメールで送りつけてきて、お前の発言は間違っていると言ってくることもありました。

その時は、その人がどうして必死になって僕を貶めようとするのか理由はよく分からなかったんですが、最近ちょっと分かった気がします。

この二人には共通点があります。

二人ともチャンスを逃した人なのです。

人は、自分がチャンスを逃した時、他人のチャンスを奪おうとします。

一度チャンスを逃した人の多くは、次のチャンスが巡ってくるのを待てません。

もしかしたら、何がチャンスだったのかにすら気づいていなかったのかも知れません。

一度チャンスを逃した人の多くは、次のチャンスが巡ってくるのを待たず、他人に巡ってきたチャンスを潰そうとします。

それがその二人だったのではないかと思いました。

ただ、僕にも悪い点があったと言えます。

それは、僕がその二人のことを憐れんでいたことです。

僕は心のなかでその二人のことを可哀想だと思っていました。

僕よりも才能があり、環境も良く、社会的な地位もあるのに、僕はその二人のことを可哀想だと思っていました。

どうしてか、それは二人ともチャンスを逃したからです。

人が何かを諦めるのには理由があります。

人が何かを諦めるとき、本人以外の何かを理由にします。

親が、子供が、パートナーが、、、

でもたぶんそれは嘘です。

人が何かを諦める本当の理由は自分自身の中にあります。

諦めた自分を責めろとは言わないけど、諦めた自分を直視することは大切だと思います。

諦めることを選択したのも自分。

結果、

チャンスを逃したのも自分なのです。

すべての結果を決めるのは自分自身なのです。

 

 

神社専門のクラウドファンディングサイトを作りました。

sukei.jp

人生に栄光や成功なんて必要ない、心に残るのはいい思い出だけだ。

ちょっとあることがあって思い出したので出かける前に少し。 

僕は5年前にステージ3の大腸ガンを患い、手術後は抗癌剤治療を受けて今もこうやってくだらない人生を謳歌している。

手術後に始めた商売で当てて、その後にすべてを失ったりと、死を覚悟してからはまあ生きてる間にいろいろやっておこうと思うようになった。

自分が死ぬ時はどうなんだろうかなんて想像しても意味がないと思えるのは、死に直面すると本能として脳のどこか、精神のどこかに新たな思考がインストールされるからだと感じていて、僕もそんな感じで死ぬことを自然に受け入れた。

というよりも、死ぬことに意味なんて無いという考えに至ったわけだ。

実際に父も母も癌で亡くしている。

二親の死に際がどうだったか、という点についてはここでは書かない。

しかし、死ぬ時に遺された者たちとの思い出が記憶の中にどう残っているかというのは、金の多少や社会的な地位や名誉などは関係しない。

僕も若い頃には自分のお手に余るお金があったこともあった。でも、それが幸せだったかというとそういう記憶はない。金は使ったら終わりだし、異性とのホニャララも終わってしまえばどうでもいいことだ。

人が死ぬ時に、遺された者たちが”すがる”ことが出来るのは思い出だけだ。

3年前、パリで自社製品を売る好機を得たときも、このまま海外向けの企画を進めるかどうかという選択肢があった。1ヶ月パリに滞在してそれなりに楽しかったし、このままこういう仕事をやってもいいかなと思った。

でも、そうはしなかった。

なぜなら、僕はそれを思い出に止めておこうと思ったからだ。

商売というのは浮き沈みがある、時限の取引なら深追いせず良いときで時間を止めてしまえばそれはいい思い出になる。

老いて夫婦で語らう時の話の種になればいいかと僕はビジネスの拡大ではなく思い出を取った。

人生に栄光や成功なんて必要ない、心に残るのはいい思い出だけだ。

もし大切な人が近く死ぬと分かったら、いい思い出をつくることに専念するといい。

肉体はいつかは滅びる。

しかし思い出は残る。

いい思い出をつくろう。

「焼鳥つかだ」の商標出願から見る広報戦略。


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toyokeizai.net

 

簡単に書けば

エー・ピーカンパニーが3月22日に中目黒に「焼鳥つかだ」という新業態店をオープンさせるよ〜。

 

という内容です。情報だけを抜き取れば上に書いたようになるけど、これが記事になると以下のような文章になる。太字の部分は記者さんが肉付けした部分ですね。グッと分かりやすくなります。

 

東京・中目黒駅から徒歩1分。食通が集うこの街に鶏料理居酒屋「塚田農場」を運営するエー・ピーカンパニーが新業態店をオープンさせる。3月22日に開業するこの店は「焼鳥つかだ」。店頭に吊るされた紺ののれんには、ひらがなで「つかだ」と記されている。

 

これはある程度はプレス向けのリリース文があると思うけど、書き方ひとつでここまで変わる。リード文の書き方のお手本ですね。

で、エー・ピーカンパニーの商標出願からの事業開始までの流れが参考になったので少し。

タイトルに「46カ月連続で客数減」というのを入れさせているのも広報の仕掛けのひとつなのかもしれない。キャッチーである。ネガティブな言葉を入れて振り向かせて、新たな取り組みを知らせる。それまで塚田農場を知らなかった層にも、知っている層にも有効。えっ!塚田農場って苦しかったの!?という感じに持っていくの、V字回復させた結果を語るのと違って、これからやるぞ!っていうのは経営側からするとなかなかできない。

 

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ディレクションは佐藤可士和氏。

この写真はプレス発表のときだと思う。

東洋経済の記事の公開が3月15日、撮影が入った記事がソースになってるのでPR風の広告記事になるのか、先に絞ったメディアに取材をさせて先行で公開させて、他のメディアにパブ記事で追わせるという手法なのか分からないけど、商標の出願が2月26日なので、わりとタイトなスケジュールで動いていたと思う。

関連商標の出願は3件。

 

商標出願 

 

のれんにも使われているこの図案。

配色を変えて「焼鳥」の文字を「炉端」に替えたものを1件。

 

「焼鳥」及び「炉端」で共通で使用されている円弧内にひらがなの「つかだ」を表記した図案を白バック反転で1件。

お手本ですね。

商標出願から店舗オープンまでのスケジュールはこう。

2月26日・商標出願

3月15日・記事公開

3月22日・店舗オープン

商標出願から広報資料をまとめて取材を受けて記事が公開されるまで2週間ちょっと。記事が公開されてから店舗がオープンするまでは1週間。

 

区分:43(飲食物の提供,宿泊施設の提供の契約の媒介又は取次ぎ,会議室の貸与,展示施設の貸与,業務用加熱調理機械器具の貸与,業務用調理台の貸与,業務用…


というのは飲食店なら一般的なもので、株式会社エー・ピーカンパニーは他に出願している商標でも第43類のみの出願が多いので、まあ、店舗での飲食業態の展開だけを考えてるんだと思います。

さすが、手練の広報部隊さんがいるのでしょう。

勉強になりました。

以上。

 

45歳になりました

気がつけば45歳の誕生日でした。

ここのところ忙しく、ワイフも僕もすっかり忘れていましたが、FBの通知がたくさんくるのと、馴染みの風俗店からのお誕生日おめでとう割引クーポンメールで気づきました。この歳になっても見知らぬ他人様から祝って頂けるなんて有り難いことです。

この45歳の誕生日はまた僕にとって深い意味合いを持っています。

5年前、自分の身体にガンが見つかり、手術し、その後の抗癌剤治療を行いました。そこから5年が経過したということです。リンパ節転移など様々な事がありましたが、一応のガンの寛解の目安とされる5年を経過し、異常も見当たらないということですので、あと数ヶ月後の術後5年の検査で何もなければ一応の節目になります。

これもまた有り難いことです。

思えば45歳というオッサンど真ん中の年齢の自分について、若い頃は想像もしていなかったように思います。

しかし、30歳のときに自分の人生計画を立てたことを思い出すと、今の自分を予言しているような節もあり、なかなか若い頃の自分も捨てたもんじゃないなと思ったりしました。

30歳の時、10年後の40歳で新しいことをやるのだと計画には書いてありました。そしてその5年後の45歳のときには一生を捧げるかもしれない何かを始めたいと書いてありました。実際に僕の人生はその通りになっていました。

まさか40歳で新しい事業をはじめて、45歳でまた新しいことを始めるなんて、どうして30歳のときの自分は予見していたのでしょうか。いや、予見していたのではなく、これはそうするんだという強い意志が心のなかで常に胎動していたのだと思います。

何をやっても周囲からどうせ無理だろうと言われる身ですから、自分だけは自分のことを信じてあげないと、自分の人生は報われない物になってしまいます。

この歳になると、同世代には手が届かなくなるほど偉くなってしまった友人や、地に落ちて卑しさに身をやつしたり、心を病んで立ち直れなくなってしまった友人も出てきます。

そんな中で、僕はいまも卑しさに身を汚すこと無く、まっすぐに、前を見て、信じる道を進んでこれたのは、ワイフや友人知人、仕事で関わってくれる仲間達と過ごした時間が僕に前に進む勇気を与えてくれたからだと思っています。感謝しています。ありがとう。

またこれからも人生は進んでいきます。

5年前に1度捨てた命です。

しかし拾われた命とも言えます。

45歳をひとつの節目として、これからは、自分が得るのではなく、人に与えていく仕事や人生を過ごしていけたらと思っています。

 

これからもよろぴくお願い致します。

 

秀島康右

 

ウナギの絶滅と、ウナギしか食べるものがない問題

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昨今はウナギを食べると、絶滅に加担しているとか言われる世の中になったわけだけれど、なんでウナギを食うのかというと理由があるんですよね。どっかのインターネッツでウナギ消費の大半が高齢者だというのもあったので、そのへんをちょっと。

今の日本には、ある一定以上の年齢になると、商業施設のレストラン街などでウナギ以外の選択肢がなくなってしまうという問題があるんです。どういうことかというと、国内のどの商業施設に行っても若年層とファミリー層向けのコンテンツしかなくて、中高年に最適化された食の提供が絶滅してしまっているので、しかたなくウナギを食うし、だからウナギ食をやめられないし、結果としてウナギの提供もやめられないということにつながっているのではないかと思うんです。

出張で地方に行くときに、電車の乗り継ぎなどでターミナル駅のレストラン街で食事を済ませようとしたら、見事に若年層向けのキラキラ飲食コンテンツと親子三代で楽しめるファミリーレストランのような店しかない。 そういう時にウナギは便利なんです。

 

歳を取ると外食の選択肢は極端に狭まる

歳をとるとキラキラしたお店で食事を済ますことがストレスにもなるし、メニューもf1層向けばかりなので、選択肢が無くなってしまう。仕方ないので和食系を探すのだけど、最近はまともな和食の店が商業施設に出店していない。和食以外とか腹がもたれる。さりとて出張の乗り継ぎにポールボキューズでもないだろうし。

これはリーシング時点の問題であるのだけど、商業施設への出店はデベロッパー側にも出店側にもリスクが伴うんですよね。僕も商業施設への出店を経験した身として、これは痛切に感じます。商業施設に出店している飲食カテゴリーと実際の需要はアンバランス。飲食店は設備にコストがかかり過ぎるので、どうしても客が求める店ではなく、店を出せる体力のある企業の提案をのむしか選択肢がないのが実情です。

リーシングとは、客の求める店を誘致する事ではなく、出店リスクを受容できる体力のある企業の説得だから、手っ取り早く流行りで消費してくれる層に訴求していかないと採算が取れないという現実とどう向き合うかというのもある。

たとえばスーツ姿の中年の男が数人で昼食をとるとします。メーカーと地方の代理店など立場が混合していてみな年齢は40歳以降。イタリアン食うか?ファミリー向けの安っぽい和食食うか?回転寿司食うか?脂っこい中華レストラン行くか?キラキラのインスタ映えする店を選ぶか? そう、ウナギしかない。ウナギ一択になってしまう。

たとえばちょっと金に余裕のある60代の女性が数人で昼食をとるとします。同級生なのかカルチャースクールなのか、そういう関係。イタリアン食うか?ファミリー向けの安っぽい和食食うか?回転寿司食うか?脂っこい中華レストラン行くか?キラキラのインスタ映えする店を選ぶか? そう、ウナギしかない。ウナギ一択になってしまう。

いちばんカネを落とす層が行く店が無い。ある程度金を払ってもいいから落ち着いた空間でゆっくりと食事をとりたい。複雑なメニューは選ぶのに苦労する、メニューの選択肢は単純な方が良い。好き嫌いのでない程度の平均値を取った嗜好が良い。そうなるとどこで食べる?

そう、ウナギしか無いんです。

早晩ウナギは絶滅するかもしれない。でも、みなウナギを食べ続けると思う。なぜなら、ウナギしか選択肢がないから。