アイデアのスープのレシピ

アイデアのレシピ集

誰でも15分間は有名人になれる未来に、あなたはどう生きるか。

直接面識のないHagex氏の事件を受けて。

氏の追悼の意味で。

炎上とかバズるとか、まあ言い方は色々あるけど、自分が書いたブログやツイートにすごい数の反応が返ってくるのって、最近は特別なことじゃなくなってきてる。

最近のいろいろな事を見ていると、1968年にアンディ・ウォーホルが言った "15 minutes of fame"という言葉を思い出す。

 

「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」

アンディ・ウォーホルのこの言葉から50年後の今、彼の言ったことは本当になった。舞台はTwitterやFacebookやInstagramなどのSNSの中だ。

スマホが普及し、誰もがスマホから簡単に発信できるようになり、受け手もまたスマホの中でそれを楽しむことが出来る。シェアやいいね、リツイート、誰でも15分間有名人になれる様々なツールが用意された。

面白い画像、ほっこりする画像、ショッキングな動画、事象に対するウイットに富んだ言及、シニカルな考察、鋭い経営論、成功談、失敗談、激しい舌戦。これらのSNS上の投稿に対して当事者外部から注目が集まり、いいねが押され、シェアされ、リツイートされて拡散する。

自分の投稿が初めてバスった時、バズっている間、日々の平凡な生活の中で味わえない「何か」を感じ、胸が熱くなり、高揚感で全身に電気が走ったような快感を味わう。

 

一般人以上、有名人以下のわたしが気持ちい

この絶妙なポジションを得て、鳴り止まないスマホの通知に心を躍らせるときが来ると、SNSの中で自分が認められたような気持ちになる。リアル社会とは違う、なにか不思議な、仕事でもなく、プライベートの裸の自分でもなく、自分が発した言葉がネットの中に漂いあらゆる隙間に入り込み、浸透し、爆発する。

面白いネタを持ち寄ってTwitterで披露したり、時事ネタに対してFacebookで正論を吐いて喝采を浴び、NewsPicksで俺様の経営論を語って気持ちよくなり、Instagramでウマそうな食事の写真をアップしてはいそいそとハッシュタグを付ける。

そう、いまは誰でも世界的有名人になれる未来になったのだ。アンディ・ウォーホルが発した言葉から50年後の未来に。

そして50年後の今、SNSでの拡散、ブログでの発信、それらはダイレクトにお金につながるようになった。SNSやブログを使えば、誰でも有名人になれ、そしてお金を稼ぐことが出来るようになったのだ。

発信することで認められ、一般人よりも少し有名で、少し影響力を持ち、有名人のように責任を追うこともない。いまのわたしが気持ちいい状態。アンディ・ウォーホルが予見したよりも未来の人の心は承認欲求を満たすために全力疾走している。

 

あなたがバズったとき、誰かがあなたに殺意を抱く

みなさんあんまり経験ないだろうけど、炎上したりバズると「殺してやる」とか、「死ねよ」とか普通にコメントとかメール来る。わりとカジュアルにくる。店や会社をやっていると、スタッフや社員に対しても「死ね」とか「辞めさせろ」とかメールが来る。

はてなブログに引っ越して程なくバズったとき、いろんな人から気をつけろよと忠告を受けたのを思い出す。バズるというのは50年前にはなかった快感を得ることが出来る新たな刺激だ。しかし、バズった時、ネットの向こうに広がる見えない場所では、バズったことに嫉妬し、敵意を抱き、殺意を覚える特殊な人達がいる。

揚げ足を取り、あることないことを書かれ、誹謗中傷が飛び交い、事実でないことが書かれて拡散し、普段はおとなしいSNSアカウントたちが鬼のように義憤をたぎらせて叩きのめそうとする。

なにもそんなリスクを負わなくてもとよく言われた。しかし先にも書いたが、発信は数字につながる。炎上すると心がボロボロになる。でも、炎上させようとする勢力よりも共感してくれる人が多いとバズる。そして数字につながる。少し強めの言葉で書いても、スレスレで反感を買わなければ「バズる」に転ずる。そしてより一層数字に結果が出る。

もう麻薬に等しい。

何者でもなく、能力も低い僕が生きていくには、発信し続ける事しかなかった。SNSやブログの発信で得たノウハウを仕事でも使った。リリースすればするほど売上が上がった。何もしなくても定期的にバズって取引先からの注文が入った。

しかし、バズり続ける仕事に嫉妬し殺意を抱いたのはSNSやブログの住民ではなかった。本当に殺しにかかってくるのは「人」だということに僕は気づいていなかった。

 

ネットでバズっても、リアルで反感を買うと人に殺される

ネットでバズり続ける仕事に水を指したのは、ネット上の炎上勢力でもなく、粘着でもなく、リアル社会の既得権益者である「人」だった。

歴史ある「社会」があり、「人間関係」があり、「ヒエラルキー」がある業界で、ネットでバズって序列を乱すのはご法度だった。

ネットなら殺害予告や誹謗中傷で済んだ話だが、リアルではそうはいかない。リアル社会のヒエラルキーの中で代々続き長年生きてきた彼らは、面子を潰した新参者を徹底的に殺しに来る。

ある時からブログの発信を緩やかにしたのも、そういう理由があったからだ。単純に疲れる。自分が、仕事が名を売る事に殺意が押し寄せてくる。人の恐ろしさをリアルに感じた。

今はもうバズろうとか、有名になろうとか思わなくなった。SNSでの発信も、このブログでの発信も、プライベートの延長程度に止めている。もう、食えれば十分。必要以上に、自分の身の丈以上にビジネスを加速する必要など、能力の低い僕には無かったんだ。

今日も友人に言われた。

「もっとガツガツいく案件なのかと思ったよ」

もうガツガツいかないよ。ガツガツして結果を出しても、単騎で乗り込むにはリアル社会は残酷すぎるし、名家の生まれでない名士の子息でもない「ぽっと出」の僕なんて目立てば簡単に殺されるさ。

 

正しさを強弁する今のネットの未来はどこに向かうのか

最近は他人が反論できない正しさを強弁するのが目立つ。

少々言葉が荒くても、正しいことを主張し実践していれば認められるという風潮が目につくようになった。徹底したエゴサーチで自分の主張に言及したツイートを地獄の底まで探しに行き、喧嘩を売り、自分の正しさを強弁し、フォロワーに叩かせようとする。

このブログでも何度も書いてるけど、正しさなんて人によって違う。いいねの数やシェアやリツイートやアクセス数が多い主張が正しいというわけではない。しかし今のSNSでは数の暴力が横行しようとしている。これは実は怖いと感じている。

安全な場所にいて自分は幸せだとマウンティングする人も多い。でもそういう人ほど心が病んでると感じている。病まないために、自分はここにいるというピンを打つ作業が発信といえる。発信したものが、他人にどう受け止められるかなんて、もう放って置くしか無い。何が正しいかなんて、誰にも分からないんだから。

発信して、共感されて、でも共感を集めれば集めるほど真逆の敵意を集めてしまう。そういうリスクがある。ネットにもリアルにも。

今は共感を集める時の人でも、一歩間違うと明日には刺されてるかもしれない。ここ数年の綺麗事でネットに関わってる人、自分の正しさを認めさせようと強弁する人は、そういうリスクを知らずにやってるんじゃないかと思う。いや、そこも計算済みなのかもしれないけど。

リアルに流行があるように、ネットにも流行がある。しかもネットの流行り廃りはサイクルが早い。正しさを強弁する今のネットの未来はどこに向かうのか、僕は興味深く見ている。

ネットで目立てば殺される、リアルで目立てば潰される。

 

誰でも15分間は有名人になれる未来に、あなたはどう生きるか。

僕は今でも生き残り方を模索している。